持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの...
いつも損なわれた物や者によって現される。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。
あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。
気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。
酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。
おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。
彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。
仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。
冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業していたら、冷蔵庫ハッキングしてるんすか?と言われて爆笑してしまったのを覚えている。
私が辞める時にお手紙書かせてもらって、彼の左胸下に氷のつぶてのようなものがあること。あなたが父親にならないのはもったいないから早く結婚した方がいいよと伝えた。
彼の命に必要だったものは、ご結婚された時に揃ったのだと思う。
面白い人だけど喋るたびに氷みたいな音がしていて、そこにギャップがあった。
ご婚約者様がその氷の部分と向き合うことになって、結婚されてからは変わったんだろうなと思う。
連絡先も知らなかったのに、亡くなる前にわざわざ知らせてくれて昔かたぎの彼らしい。しかし早すぎた。
猫を家に迎えてから6年半、人さまの家の猫や画像の猫に反応することが増え、とうとう猫の一部が映像にでできた程度で反応してしまうようになった。
猫足バスタブの脚の部分が本物の猫の足を模していて、自分がにこにこしていることに気がついた...
私が自殺をした年に迎えた猫をアパートに残して来たのが心残りで、忍び込んで再び迎えに行った。ほとんど自分の子だと思っていたし、置いていくなど本当に考えられなかったけれど、この時のことは謝りようがない。
迎えに行った時は部屋の中でひとり、つちのこみたいに大きくなっていた。
朝7時に出て酷いと次の日の朝まで出社している人のもとで置き餌を食べ、足りない時は髪の毛を食べていたようだった。
おそらく大量に置き餌していたが、子猫だったために配分がわからなかったのだろう。
今でも間食に髪の毛を探しているから、もういつでも食べられるんだと言い聞かせるが分かっていないと思う。
謝りようがないが、アパートのホワイトボードに、猫に吹き出しをつけて"バイバーイ"と書き置きして発った時は気持ちが良かった。
人さまの猫も大なり小なり家の子になっていった歴史があると想像して、この手にも脚にも何か愛情かかけられているのだと感じて、カワイイと思ってしまう。
それを通して動物が、人間が、愛される可能性があるものが全てカワイイと思えてしまう。
愛される可能性のあるものが愛されていないと、カワイソウになるのかも。ヴィーガンの人達を尊重してあげたいと思うのも、自己愛が砕かれた形がカワイソウに繋がっているので、言っていることが行き過ぎているとかで、責めていいものではないと感じる。
自己の愛着を通して自己は回復ができるのです。