自分が展示をした1階のホールに黒いピアノがあって、次第に鍵盤がカラカラと散らばっていくなか、CATSのmemoryを弾いていた。
美しい夢。
男とは女とはを人が語りだすと、甲子園のサイレンが鳴る。
youtubeの感想欄の傾向は、ナチズムのはしりの会合のようだった。100万の動画再生のなかで、よりすぐりのサディストだけが感想を残していると考えるべきだろう。
重度障害者に対する死生観ばかりの感想のみであり、それも自分の立場や人格を弁護しながらの卑猥さ。
自分が障害者当事者だからわかる、家族が障害者だからわかるとその場に表明するということは、自分であったら間違いなく殺すと言っているのと同じである。
殺したくもなるが殺さない理由については感想を述べない時点で、事が起きずとも殺す側を評価している人間であることを認めたほうがいいと思う。
世の中が変わるのを待って、信念もなくすぐに殺す側になるだろう。
仮に"重度障害者が生きる権利がない"として、なぜそれをあえて貴様ごときが殺すのか?という問題には殺人者本人も答えられていない。
権利によって生きているという考えのつまるところは、生きることに許可不許可を感じている貴様自身がいるということ。
自分自身の弱さを他人を用いて解消しなければならなかった骨組みを持っている。
ヒトラーもその1人で、自分が虐待からも何からも守られなかった経験を、今度は自分がその惨めさを味合わせる立場に成り代わることで克服しようとした。
"意思疎通ができない"というのも"意思疎通ができる"というのも思い込みであり、信じるという営みのみによってコミニュケーションは成立している。
自分には優位性があるという思い込みを相対的に勃たせるためだけに、他人で表現しようとするのが殺人者の基礎ではないか。
ps
殺人者のいう"意思疎通がとれる"というのは、"自分の意思に応えてくれる"に訂正されるべきである。もしくは"私と意思疎通のとれる"にするべきだ。
意思疎通がとれるという評価において、なぜか自分の評価の方だけを高く見なしていることに幼児的万能感がある。
友人の眉間に手を当ててみたら、お腹の中は黄緑色の丸があった。女の子という感じがした。
これから命を表す色には黄緑を使おうと決めた。
友人が帰郷し、なんとしても会いたそうな雰囲気だったので、少しだけ顔を出すことになった。
毎回のお土産を買って来てもらって、箱がいくつか入っていた。上手に出来たものがあるから見てくれと言われて小さな箱を開けたら、予定日と胎内の写真が入っていた!
こういう時にはどんな気持ちになるかと思っていたけど、初めて知った繊細な感情だった。
嬉し泣きという経験をした。2人はなんだか照れたような、困ったような。
我がことのように嬉しいものがあることが、なお嬉しい。
欲しいものがまだわかっていない者ほど、より多くを求める。より多くを取り込んで、取り込んだものは中で台風のように巻いて壊されて、あとは屁のように追いやられている。
色々な形になって熱暴走する女の子がいて、同じ建物のなかに建築の教授が立っていた。
君たち課題は終わったの?
まだ終わってませんと言ったら、君たちが終わらないとね、自殺ができないんだよとややヒステリックになった。(ヒステリーにはあまり性差がない、と感じた)
若年に打ち明けるくらいだから、よほど疲れているか、友達がいないのかも。
やめたほうがいいですよ、文字通り死ぬほど苦しかったのでと嘘を答えた。
彼のヒステリーは状況というより、ホルモンバランスが作り出していると直感した。やたら汗をかいて肩息をついている人で、やや中年女性に近い話し方をする人だったから。
後半は夢の所感ではない。
ps.
今は大学で働いている同期が、次々と教員が亡くなっていることを教えてくれた。
詳しい人数は教えてくれなかったけれど、知っている女性の教員が2人、亡くなっていた。
40代、まだ人生に差し掛かったような歳でなぜ。
それ以上にいるという話なので、なにか新しい施設を建てる段階で化学物質が充満していたとか...