ここまで生きられたのだから、どんどん行こうというわけにもいかん。
例の如く足踏みをしたりもまた良いだろうと、啄木のように生きられればなぁと思う。
一度は死んだ身だけれど、あの決死のような気持ちとは違った希望的な死へのあこがれは、死ぬまで持ち続けるのだろう。
同じように生き残った人に会ったことはまだなく、会えたら聞いてみたい。
微妙な作家魂を競わせるだけの人は多く、我先に我の方がとむなしい。競っているということ自体が、美術ではない証拠です。
社会還元のような発想はなく、ひどい言葉で言えば、矮小な自己実現を終えた商品。
それはそれで、私が他人の儲け方に口を出すべきではなかった。
しかし、矮小さを雲隠れさせて美術風なことをしようという風潮はさすがに冒涜だと思う。
自分の手柄にすることが、そんなに大事なことか。お前ごとき、自分ごとき。