子ども

 

話を聞かせれば、それがスイッチかのように、すぐ想像の世界に入る。

その先は言葉を聴いているのではなく、映像をともなって陶酔している。

大人はいつもそれを理解して、言葉を話さなければならない。決して自分の言葉としてではなく、その映像が続くための補助員として。

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