叫ぶ他所の母

通院、診察を待っていたら壁を隔てて親子が話し合っていた。

というよりも母親が何やら捲し立てていて、子どもは朦朧として、父親は我関せずでへらへらとしたような雰囲気だった。

だんだん捲し立ては強くなり、「私があなたを守ってやっている、あなたは一人では生きていけない、私は従軍看護婦だからお国のために頑張っている、男は汚れているが私の言いつけを守れば汚れない男になる」

という内容だった。被害者意識など個人的な物事の肥大化、政治的思想の偏りから、統合失調の気を感じた。

しかし診察にかかるのは子どもらしい。

どうやらその子は朝まで座らされてその説教を聞かされていたよう。向精神薬も服用したのか、ぐったりとしていた。

その後父親に「あんたは何もしないで、あんたのせいで私は病気になったんだから、おーいお茶買ってきてよ!」と言って、コンビニへ送った。

看護師さんが面談を呼び出しにくると、「あの人どっかにいっちゃったのよ!」と言っていた。

父親は手ぶらで戻ってきて、「ゴミ捨ててきた」とへらへら。「あんたなんでおーいお茶買ってこないのよ!」と捲し立てられるも、何だかへらへら。何でも言うことを聞いている訳ではないらしい。(私ならば、びびって色んな種類のお茶を買ってきてしまう...)

一見母親だけが問題かのようだが、不安型の愛着をもつ人と回避型の愛着をもつ人の組合せの典型に思う。求める人と、回避する人。

回避型にとっては不安型の擦り寄りが心地よく感じるが、不安型にとっては不安が解消されることがないため、問題はどんどん膨張していく。

 

先生に誰が患者なのかと尋ねたところ、この人おかしいな〜と思っているその人が多分そうかもね、と守秘義務を侵さない範囲で呟いてくださった。

子どもの通院を装って、母親を入院させるために来たようで、私が帰る時には1人面談室で叫んでおられた。誰も悪い人はいないのが1番悲しい。それは、どんなときもそう。

 

私が見た限り、子どもには何も問題がなさそうだった。ただ暇もなく酷く疲れているだけ。この両親からしばらく離れられるのであれば、問題なく復帰できると感じた。

が、それが一番難しいところ。健常者のように、依存先が無数にあることが重要なのだが、診察からそれを広げられるところが多くあれば良いのに。

 

 

 

「男は3本足!」という唐突な下ネタに何となく傷付いていたが、Instagramで海外のおじさんが仮装して、足が4本になったままニコニコ楽しそうに歩いている動画を見て癒された。

 

 

 

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