本当にありがたいか

感謝をフェアプレーを示す道具として用い出すと、本質からずれていく。"何々したからあなたはいい子"など、条件付きの愛情を受けた人ではないかと思う。キリスト教的でもある。

もしくは社会的合図として使っている人もいるが、掛け合いだけになるといけない。自分から産み出る感謝以外は憎しみの種になって、言葉の呪いにしかならない。人から与えられたから感謝するのは感謝ではなくて、恩の相殺。

 

なんだかこの人の感謝は薄っぺらで、言っていないのと同じだと感じるものだが、逆に真に絶望したことがあるのだろうという人の感謝は、いつも言葉になる前に伝わってくる。

何か無くした人が再び得たとき、本当の感情が動く。

 

 

 

誰かれ好かれるために、嫌われないために使う人もいる。嫌われないようにというか、自分を嫌う権利を誰にも与えないようにしていると、相手には窮屈を感じさせてしまう。

相手は自分のことを思い切り嫌う権利も持っている。

 

 

 

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