婆が70を過ぎた頃によく、存命の同級生を数えた方が早いと言っていた。その歳にもなると、誰でも生きていれば会いたくなるらしい。
嫌うことは若さであると思う。
死の間際にはカーテンコールと同時に手を繋げる人が多いといい。嫌いなものも好きなものもどうでもいいものも手放すのが惜しくなると思う。
のちに不要になることがわかっているから、今も要らないけれど、嫌うことも生きる楽しみのひとつなのだろう。
憎しみは疑問だと思うが、疑問は最後にはとけるのか。渡辺和子さんが2.26でお父さんを殺した人と対話したとき、心では許していてもコーヒーカップをもつ手が震えたと言っていた。
そして、自身にも父と同じ血が流れているのだと思い少し嬉しくなったと。
私は憎しみをほとんど感じたことがないが、自分の愛着を共有し育てたものを殺された場合にはどうなるかわからない。
憎しみという疑問は、間際には違う疑問になるのかもという仮説。自分にも相手にも向けた言葉ではなくて、空に問うのかも。