続、男性美術史

在学中、当時客員教授だった会田さんが、

私の友達を学外に連れ出したのち強制的にわいせつなことをしたということだった。

女性の教授から、飲み会に参加すると触られたり侮辱的な言葉をかけられるのが毎度のことであるとは聞かされていた。

何が起こったのかわからなかったが、友達は泣いていたから、テープレコーダーをポケットに入れて、会田さん本人に聞きに行った。

友達が泣いて帰ってきた、あなたは何をした?と聞いたらただ一言「嫌だと言わなかったからやった」とのことだった。

こんな人間がいるものかと感じた。

保健センターや大学に訴えたが、訴えれば大勢いるファンに殺されると言われ、この件は無かったことになり、ひっそりと客員教授の枠から去られていた。

 

のちに同大学の山本太郎という日本画家も学生に手を出して、同じく京都に去ったらしい。これも公にはならなかった。

 

私自身にも困難なことがあり、志していた師に勘違いをされてしまい、落胆した。

今でも尊敬している方だが、世界的なアーティストにも関わらず性にはだらしがないところがある。

評価されていると思っていたのは、そんなくだらない感情からかと気がつくと、ますますくだらなく思う。

「君は僕がいないと駄目だ」と言われたのを覚えている。誰かに依存して良いものが作れる場合があるんだろうか。

 

家族や愛の表現をしているのに、人が見ていないところでは真逆のことをやってのける。

なんだか偉そうにやっている人でも、ああ単身赴任中に派手な遊びをしているとか、夜には恥辱にまみれたものばかり見ているのに、自然の美しさを語ってみたり、これはインチキだなと思った。

スーツ姿ばかりで能弁を垂れていたりすると、イメージとのギャップに笑ってしまいそうになる。

 

それはそれでやっぱり放っておけばいいし、自ら地獄に周波数を合わせなければいい。

真面目にやっている人もいる。

善いものを信じて、ああならないようにすればいい。私の仕事には関係がない。

悪いものを信じるか善いものを信じるかを選んでるのは、結局のところ自分です。

 

 

ps

在学時、美術論を教えてくださった名古屋覚先生が、会田さんはパーソナルな部分で、やはりどこか自分の作品イメージのようなものへの嗜好性があるのではないかとふんでいると仰っていた。今思うと、鋭い。

 

 

 

 

 

 

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