RPGでの"闇"の扱い方をみていて、「私とは異なるもの」という一神教的な扱いが多いなかで、「私のなかにもあり、いつか芽吹くかもしれないもの」というものがあった。
その話のなかでは、悪魔に祝福を受けた人達が集まり種族として扱われていた。
その人達は闇に囚われると悪魔になってしまうという。
悩みの語源と等しく、闇の語源は"病み"だろうか。私は世に何を描くべきかしか考えていないから、つい自分の病みを作品とする人と重ねてしまった。
そしてつい嫌悪してしまう、病みを描く人について思ってしまう。人に土がついたままのジャガイモを出して、食えと言っているような絵が、本当に豊かですか。
と感じているけれど、身体を楽にしても明るい絵が描けない自分は同じようなものではないかと悲しくなった。
作りたいものを作れ、描きたいものを描けと言われるが、自分の外に出す限りは自分だけのものにはならない。
自分から出たものがか食べ物になるのか、飾りものになるのか、生ゴミか粗大ゴミになるのか、便所に流せるのか、責任がある。
責任の取れそうにないものは小さい頃から描かなかった。
"病み"は供給過多だと思う。
明るい絵を描けなくとも、優しい絵なら描けそう。