昨日朝、姉の頻拍発作が3時間を超えて続き、心臓の薬も効かないために救急搬送された。頭に入ってみると悲しみと嘆きだけだった。
姉の靴を持って、遅れて少し遠くの病院へ向かった。病院に着いたら死んでしまってるのではないかと、帰りの救急車とすれ違った時に思って、何度か泣きながら。この時間さえ良かったと思うようになるんじゃないかと、快晴の天気に情けなくなりながら。
着いたら4時間座って待っていたので、日々座り作業のダメージと合わせて、かなり尻が痛かった。
車椅子やベッドに乗ったばっちゃじっちゃが交差して通っていって、救急は混んでいた。
つい横に点滴をつけて眠っている方が運ばれて来て、県南のケースワーカーさんか何かと今後の先行きの話をしていた。
死んだように眠っている顔で一昨年の祖母の死に顔を思い出して、身体のどこが悪いのか探ってみたがよくわからなかった。
煤けたような静かな死の匂いみたいなものを感じた。
ただ気を送っていたら自分の身体が耳まで真っ赤になって、話を聞くに発熱していたらしい。
コロナの検査のために処置室に運ばれていった。
姉は検査と点滴を終え、夜には帰った。
今日はまた行動記録とペースメーカーをつけている。能登の地震、パレスチナのこと、死の匂いが強いなかで、絵の画面にも表さなくてはいけなくなってきた。
緑を命の色としたけれど、人間の命に対して自然の命は黒も白も連れて来て轟々としてることを、取り入れなければならなくなった。