雄々しい世界の美術へ

"理解はできるが、私はそれが美しくて大事なことだと思えなかった"

それに勝る言葉がないと思った。

私が美しいと思うことに通ずる、あたたかさや思い遣りや、溝川の泥をさらって水をきれいにしたいというようなひたむきさが感じられなかった。

他を戦略的に圧倒し、声を大きく目立つような真新しい美しさというものは、雄々しい世界の美しさなのだろうか。

歴史は常に歴史になりたいものだけが残っていく。そこに残ることに何の魅力も感じない。

人を沢山殺した人だって歴史に残っている。

 

知性は感性に勝ると思い上がるのは、死に至る病。現に知識を組み立てて美術を行った人は、愛も感じられなくなり、人を支配して、やがて精神疾患になって死ぬ。

そうして残った作品は寂しさの結晶みたいなもので、美しさを感じない。寂しさは美しくない。

美しくてあたたかいが、強すぎず弱すぎない。

そんな人やものに美しさを感じる。

 

理解されたいと感動させたいの違いなのか。

 

 

 

 

 

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