人の気も流せるように修行しようと、これから月1回は通うことにした。
師匠ももう85歳だからと自分が焦っていたのか、とにかく焦んなよと言われた。死期が近いと感じている。
本人も、わかっている気がする。
儲けに興味がない人なので、本を出したり道場を開けと言われても断ってきた。
自分がいたことを証明したくないかと問われると、「それ1番興味ないやつ(笑)」らしい。
ただ確かに師匠のような人がいたことを残したい気持ちはわかるから、絵本を作っていいかとたずねると、なんぼでもやっていいでと言ってくれた。
私に関しては、自分でもわかっている。人を許して許して許して平らに見られるようになった時にらはっきりと何か見えるようになると思う。未来や過去が。今はランダムすぎる。
許すべき人物もわかっている。
今日また海馬の奥にある古い記憶が出ていった。
許して許して、誰のことも受け入れて、人を助けて生きていけるように。
その時は1円も取る気はない。その人が元気に綺麗になればそれでいい。
人の病気を治せるようになることも、焦らず長い目でとのことだった。東京にはまた違ったスタイルの人もいるらしい。
とりあえず今は朝1時間、夜1時間の呼吸、気がついたときに割り箸を噛むこと。