足りる足りないの六感

死が近い人と、母子間の愛情が枯渇している人に感じることは似ている。

後者は目の奥に吹き荒れている砂漠がある。前者は鼻の周りくらいにそれがある感じ。

 

死ぬほど疲れている人は少し違っていて、大量に発汗したあとのような感じがする。それが事実の場合もあるけれど、それとは違う。

昨日好きなミュージシャンの配信を視聴した時も、この感じがした。若干砂の気配がしたので、死に関わる何かが胃か肝臓にあるのだと思う。体の中がもやついていた。

(それを見るためにファンクラブに入ってみたがすぐに後悔したことは別の話...。この人の人間の部分を見てる人は1人だっていないと感じさせるような場だったから。)

共通しているのは、何かが足りていない時に砂な感じがすること。

砂の感じと言っても伝わらないが、砂の感じというしかない。言葉は壁になっている。

 

見える見えないの"見える"は明確に見えるのかと思っていたが、師匠が言っていた"寄り目に近い感じ"というのはかなり的を得ていた。

それとは別に、"なんかそんな感じがする"の延長線上に第六感がある。前後左右斜め以外の次元が拡張した先は例え話になってくれないが、眠っている間に見る夢によく似ていると思う。

無理やり例えるなら、「こちらに走ってきた車のタイヤの隙間から子猫が沢山産まれて、その沢山の鳴き声が山になった」という場面が、言葉にすると妙だが何となく思い浮かぶというような感覚。

言葉にするのが辛いとはこのことだと思う。

古事記に似ている?

 

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