どっかにいった先生へ

春に亡くなった先生へメールを送った。

 

先生が死んだということを思い出すとまだ悲しいので、思い出さないようにしていたが、自分の腹が決まってきたこともあったから送った。

彼女が死ぬ前の日の夜、耳元に何ともつかないヒロヒロとした楽しい電子音楽が聴こえて、そのとき何故か先生だと思った。

同期の者たちは何も悲しくなさそうで、私が心をえぐられていることを軽く踏みならしていくようだった。永遠に生きると思っている人たちは颯爽として暴力的です。

 

あぁこの人はこれほど自分を埋めていたのかと分かったが、それほど虚しかった。

先生に最後にメールした時、何も教えてはくれなかったこと。その時はすでに身体の血液が駄目になっていて、遺作と決めて描いていたこと。そのことを考えようとすると泣き喚きたくなる自分が、行き場もなく耐えている。

常々、報告連絡相談をちゃんとしなさいと言っていた。先生に報告することがこれからどんどんある。今右耳にヒロヒロと聴こえる笛のような音で合図してほしい。

 

私を面倒みたせいで、何かチクチクと嫌がらせを受けていたんじゃないかと気になっている。

何かできたのかもしれないとも思う。

とりあえず先生の苦しく痛々しい身体はもうないから、それだけは良いとも思う。

でも悔しいような、報われないような悲しみがあって、制作を続けて報告することを続けるしかないと思う。

 

 

 

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