途中、キャンディーズ

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本当にいい仕事をしたい、いい仕事をしないと駄目だと思う。それしか考えていない、草を食っても良い。

描きたいものを描くのは素人の人なら良いと思った。プロは違う。画力1番で賞とか、奇抜で賞をもらって喜んでいるのでは。どうにか自分の命をふりしぼって出た、遺書になるようなものを毎回作らないと駄目だ。

でも素人のまま楽しんで、人生の余暇で生き死にしたい人を巻き込むのもまた違うと思う。快楽で作る人の邪魔はできない。何か辛いことの逃避であるかもしれないし...。

 

でもやっぱり痛い思いをして産むものや、損なわれたからこそ産まれたものの美しさには敵わない。

たとえば自然をそのまま作ったとしても、人が描いたものは人が見たものにしかならず、人為的なものにしかならない。"自然が美しい"と思っても、"自然の美しさ"なんてものは存在しない。たいていは、自然が美しいと思うナルシシズムが表れるだけになってしまう。

 

 

モチーフ同士の関係性、背景を思いつくまで、あまり追い込まなくても出てくるようになった。夜寝る時、神頼みで何かないですかねー?と聞くとわりかしに何か出てくれる。(高木正勝さんもそうらしい)ドラえもんのよう。

 

 

キャンディーズを描いていて、写真に撮られた人というのは何だろうなと考えたが、やはり死骸ではないかと。人のある時をおさめて進まないもの。

写真を撮られると死ぬというような感覚は、的を得ていると思った。

 

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